建築基準法の目的は建築物に関する「最低の基準」を定めて、国民の生命等を保護するものであり、「必要十分な基準」を定めているものではありません。
建築物に求められる基準は1つ1つ異なり、建築主自身が必要だと思う建物計画を考え、建築士がその意図を踏まえ法令に適合するように設計や工事監理を行い、最低の基準について適合しているか確認を行う建築確認という制度を経て建物が出来上がっています。
建築基準法の第一条(目的)にはこう書かれています。
「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」
建築基準法(昭和25年法律第201号)はこれまでに何度も法改正がありましたが、第一条は現在までに1度も法改正は行われていません。姉妹法となっている建築士法(昭和25年法律第202号)の第一条も同じく現在まで法改正はありません。建築に関して基礎となるこれらの法律の目的を考える事が重要だと思い、最初の記事にしました。
建築基準法の制定経緯
以前は市街地建築物法(大正8年法律第37号)がありましたが、以下の問題点があって建築基準法が作られたようです。
- 新憲法(日本国憲法)の精神から見て改正が必要であった。
- 建築の質的改善による災害の防止や、国民生活水準の向上が難しい。
新憲法の精神ってなんだ?
憲法については小さい頃に学んだ記憶はありますが、改めて確認しました。日本国憲法が公布した際に設立した憲法普及会という組織が「新しい憲法 明るい生活」という冊子を全国の家庭に届けたものがあり、それにはこう書かれています。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。
学校教育で習った①国民主権②民主主義③戦争放棄の3つが根本精神ということなのかと思いました。日本国憲法は前文と第一章から第十一章の条文で構成されています。第三章の国民の権利及び義務で、最低限の自由や権利を保障すると同時に一定の義務を課しています。第八章の地方自治では地方自治の本旨と条文があり、これは民主主義的要素の住民自治と地方分権的要素の団体自治の二つの要素からなっていると言われています。
建築士試験の勉強を行っていた際は、あまり理由などは意識していませんでしたが、建築基準法が「最低の基準」となっているのは最高法規である憲法に反しない必要があるからではないかと思うようになりました。国の法律は、国民の自由や権利、財産の侵害しないよう「最低の基準」であって、それ以上は国民1人1人が基準を作ると解釈するようになりました。
建築の質的改善と国民生活水準の向上
戦後直後は市街地建築物法の適用停止を行い、生活のために何でもいいから住まいの量を優先して作ってきた背景があるようです。しかし、数年経過と共に少しずつ落ち着いて、副作用として保安衛生上よくない建物があったり、災害時の被害損失が甚大であったりとこれは改善しなければという事で最低限の質の建物を作って国民生活水準を向上したい意図があった。一方で上記で述べた憲法との関係上、最低基準の設定は難しかっただろうなと思います。また、建築物の基準は定めても実際の建物がその通りに出来なければ意味が無いため、設計や工事監理に関しては建築士法、施工に関しては建設業法(昭和二十四年法律第百号)をそれぞれ同時期に制定し、目的を達成したい思いがあったのかと考えました。
制定時の要点
それまでにあった市街地建築物法と変わった所は何だったのでしょうか。
国会の法案提出の際の趣旨説明では主に以下の内容でした。
国民生活に関わる内容は法律にした
今までは基準のほとんどが命令(今でいう政令や規則?)であったため、今後は国民の生命や財産などの重要な事はしっかり法律に書いて国会で国民の代表者による決定を経て行うという民主主義を正しく実行するのが目的かなと思いました。
地方自治の促進として、地方公共団体の条例で規制、緩和と責任
市街地建築物法は文字通り「市街地」、制定時の6大都市(東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)が対象で、順次都市が追加されましたが、基本は市街地の建築物が対象でした。一方で建築基準法は市街地に限定することなく、単体規定などの全国統一の内容も出来ましたが、地方公共団体が実情に即して条例を作って規制や緩和が出来るようにもなりました。同時に法律の執行や責任は地方公共団体が持つようになりました。
許可から確認
今までの手続きは都道府県知事の許可制でしたが、今後は都道府県または市町村に置いた専門的な知識をもつ建築主事の確認制となりました。建築基準法における特定行政庁の定義では建築主事を置く市町村長または都道府県知事のことですが、実際は都道府県による特定行政庁の時期が続いて市町村が特定行政庁になった時期は昭和46年くらいからが多いように感じています。(ちなみに滋賀県内における特定行政庁は滋賀県、大津市、草津市、彦根市、東近江市、長浜市、守山市、近江八幡市となっています。)
防火、防災の見直し
建築物の質については大きな変更はなく同じ規定が多いようですが、当時は火災の被害が頻発していることもあり、防火や防災についての規定を主な見直し対象としていたみたいです。
その他にも建築審査会の設置や建築協定の制度なども出来たようです。
今回の記事作成にあたり、憲法、過去の国会での本会議(衆議院、参議院)、委員会議事録および現行法令を主に参考にしました。出典元は以下になります。
出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://www.ndl.go.jp/)
出典:e-Gov ポータル(https://www.e-gov.go.jp/)
まとめ
法律ができた当時と今では状況が違いますが、目的の条文は変わっていません。建築主が「必要十分な基準」として何を求めているか、建築士がその求めに対してどのような設計や工事監理を行っているのか、「最低の基準」に適合しているかを確認することで憲法で保障している国民の生命、健康及び財産の保護を図っています。建築主、建築士、特定行政庁のそれぞれが異なる立場であることを十分に認識し、尊重しながら建物づくりをしていく事が非常に大切だなと今回学びなおして改めて思いました。